ひょうたんグループ提供
  竪破山 風のコンサート
2015.11.03

駐車場の地図
2015年11月3日、竪破山の山頂で「風のコンサート」が催されました。
もう10年以上毎年行われているこのイベント。多くの聴衆が山を登りました。

バス
十王支所からバスが用意されました。9:00に出発し30分程度で黒坂地区に到着。
この先は山頂まで歩いて行くしかないが、ゆっくり登っても2時間程度。
ハイキング感覚で登ることができます。
帰りのバスは同じ場所から14:40でした。

不動石
盤上に不動明王の石像が祀られ、その足元をきれいな清水が流れ落ちています。
この石像は明治になってから祀られたもので、石そのものはもともと黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったと言われています。

烏帽子石
八幡太郎義家が竪破山の神霊に参拝した時、かぶっていた烏帽子に似ていたことから名がつきました。

畳石
畳を積み重ねたように大きな石が4段に裂けるように割れています。八幡太郎義家が腰を下ろして休んだので「腰かけ畳石」と呼ばれたことに由来しています。後に、竪破山で修業をしていた修験僧が座禅をした石とも言われています。

手形石

かま

弁天池

仁王門

太刀割石
永保3年(1083年)、八幡太郎義家が奥州征伐の折、戦勝祈願のために竪破山に立ち寄り、野宿していると、夢の中に「黒坂命」が現れ大太刀を差し出しました。目覚めた義家が大太刀を一振りすると、巨石が真っ二つに割れたといわれています。隠居した水戸光圀翁がこの山に登った折、「最も奇なり」と感銘し石の名をつけたと言われ、以前は「磐座(いわくら)」と言って、神の宿る石として石の回りにしめ縄を張りめぐらし、みだりに石の上に上ることはできませんでした。

甲石
元禄(1688年)以前は「竪破和光石」と呼ばれ、薬師如来が宿されている石として信仰され、正面に石をくりぬいた祠があり、その中に薬師如来の12神将像(現在は6体)が祀られ ています。水戸光圀翁が仏教色の強い「竪破和光石」を「甲石」に改名したと言われています。

舟石
一見船が山に登る形に似ている石。

胎内石
黒坂命が陸奥(蝦夷)遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、あまりにも疲労した黒坂命を見て、その馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に命を休ませたことから「胎内」という名がついたと言われています。

黒前神社

竪破山山頂からの眺め。左が神峰山、右が高鈴山。

風のコンサート看板

パンフレット

温かいみそ汁

リハーサル

コンサート開始

コンサート演奏中

神楽石
「竪破山絵図」(元禄4年)では「まいまい石」と言われ、竪破山の神霊が浜降りの際、折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、一休みのためにお神楽を奏し神楽舞をしたとされ、石の名になりました。

軍配石

奈々久良の滝。


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