日立風流物

2012年 5月
 日立風流物の由来
 日立風流物は日立市の前身である日立村の鎮守神峰神社の祭禮に、氏子達が奉納の意味で造った山車に操り人形を配したもので、江戸時代中期享保の頃(1716-1736)に始まりました。現在、日立市には東町、北町、西町、本町の4台の山車が有る。

日立風流物の形態
 高さ15m、奥行7m、巾3m〜8m、重さ5t。 日立風流物は大きな山を背した城郭の形をし、山車の一層には大手門を、最上段の五層には天守閣をそなえています。山車の正面を館といい、五層の唐破風造りの館は中央より左右両側に割れ開く仕組になっています。館での人形芝居が終わると舞台は廻り舞台となって回転し、裏山において別の人形芝居が行われます。これらの芝居は無言劇で山車の中のお囃子に合わせて演ぜられる。

 神峰神社の大祭にて氏子により奉納されてきたもので、現在は毎年春の「日立さくらまつり」と5月の神峰神社例祭に公開されている。
  
 

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